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甲子園の運営、すごい
去年まで野球の大会の運営をあれこれ考えていた身として、甲子園の運営、アレすごいな、と思う。

諸問題の根源は49校のトーナメント戦を1会場でやる、という点にある。
これはすごい。
初戦の24試合が終わるだけで7日間もかかる。普通に考えて、とんでもなく効率が悪い。
運営とかにかかわる前はこんな簡単なことに気づかなかったのだが、もちろんその間の試合待機チームの滞在費はシャレにならない額になる。100万単位でかかる。
常識的に考えれば3会場ぐらいに分けてやって2~3日で終わらせるのがふつうだが、それでも無理やり1会場でやる。なぜそこまでしてやるか言えば、もちろん甲子園が神格化されているからだ。出場選手も保護者も、「甲子園球場でやらなければ意味が無い」と印象付けられてしまっているから苦情が出ない。すごい。

しかも本大会だけでなく、「公式練習」といって、出場チームが事前に実際の試合会場で事前練習する行事がある。
これも会場数を増やせば1日で終わるのに、1会場しかないから49校回すのに3日もかかる。たった30分の練習のために開会式の1週間前から現地入りするチームもある。
それでも苦情が出ない。すごい。

さらに、大会期間中の試合の無い日、選手をホテルでぶらぶらさせてる訳にもいかないから、体を動かすための球場を用意するほうがベターと考えられている。(必須ではないが)
それも待機チームの分だけ用意する。
すごい。

そして選手を滞在させているホテルも、大会期間中の日数×49校分を押さえ、さらに試合に負けたらキャンセルして帰ってもいい約束まで取り付けてある。1会場制のせいで、大会期間がとんでもなく長いのに。すごい。

だからその分頑張って、1日に4試合やる。これ自体すごい。予選ではありえない。
なので予定は押しに押して、第一試合の開始は8:00となる。
8:00プレイと言うことは、遅くとも6:30ぐらいにはチームは球場入りしていると思う。
そうすると5:30には選手は宿舎を出なきゃということになり、ということは4:30には起きて選手にメシを食わす(もしくはおにぎりを持たせる)という日程をホテル側に依頼することになる。
選手もホテルも大変だ。でも苦情が出ない。
すごい。

など、通常のスポーツ大会の常識から考えると、普通はやらないことづくめの甲子園大会。
そのうえ、引き分け時には「必ず再試合を行う」という日程無視の狂気のような規定まであるのだが、それまで含めて「そういうものだから」で運営されている甲子園大会というのはほんとすごいなあ……、と野球の仕事を離れた今でも思うことがある。
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【2014/08/12 21:14】 | 体育研究室 | トラックバック(0) | page top↑|
ランニング始めて20年
ゴールデンウィークが過ぎて自分も35歳になり、ふと思う。
ああ、今年でラン始めてちょうど20年なんだなあ、と。

きっかけは何ということも無かった。
僕の母校には、「ゴールデンウィークに夜通しで登山した上、そのあと35km歩く」という気が違ったような行事があり、高校1年生の僕は、その行事に参加するために生まれて初めて「スポーツ用の靴」というものを買った。まあ、その行事自体は本当につらくてキツくて達成感も無く、二度とやるか!という気持ちで終えたのだが(実際に翌年からさぼった)、僕の手元にはそのランニングシューズが残った。

「せっかく買ったし、これ使うか……?」

とはいえ運動なんかまともにしたことの無い75kgの肥満少年だった僕は、運動用ウェアなんてのも何一つ持っていなかった。しかたがないので中学校の体育着であるダサい短パンをはいて、隣の神社を2周(3.5km)することにした。走ってるのがそもそも恥ずかしいし、中学校の短パンなんかはいてるのがさらに恥ずかしいので、誰にも見られないよう夜中にこっそり走った。
それならスポーツ用品店行ってウェア買えばいいじゃん、と思うかもしれないが。運動全般に強力な忌避感・劣等感を持っていた僕にとってスポーツ用品店とは、僕などが入った日には全ての店員と客に「おまえの来るところじゃない、帰れ」と思われているような気がする場所で、とうてい足を踏み入れられる領域ではなかった。ヤンキーが図書館に行った時の気持ちとはこんなものなのだろう。
というわけで、1枚しかない上下の体育着を走ってはすぐ洗って乾かしを毎日繰り返した。
東南アジアの子供のようである。
それを始めたのが、ちょうど今頃、5月の末頃だったと思う。

あれから20年、新しく始めたり、夢中になったり、もう飽きたりした趣味はあれこれあったが、ジョギングだけはずっと続いた。ジョギングは運動音痴の民にとって、最後に残された救いの土地のようなスポーツで、半年以上走らなかったり、タバコばかり吸ってたりした時期もあったが、誰も怒らない、誰にも文句つけられたりしない。走りたいときに走りたいペースでやればいいだけだった。
靴は今ので7足目だ。初代の靴、20年前のナイキ・エアペガサスは3年間使ってぼろぼろになり、とうの昔に捨ててしまったけど、あの靴から始まったと思うと本当になつかしい。あの靴に、もう一度会ってみたい気がする。

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【2014/05/24 22:37】 | 体育研究室 | トラックバック(0) | page top↑|
エクセル・PDF版の野球スコア用紙、アナウンス原稿メーカー
加藤です。
先般のデイリーポータルの記事にも書きましたが、エクセルで野球のスコアシートを作ったので、公開します。
エクセル版はご自由に加工してお使いください。PDF版もあります。
上下の空白は、ルーズリーフにしたとき向けに最適化されています。

エクセル版はこちら

PDF版はこちら

13072801.jpg



あと、まだ試作品に近いですが、複雑な選手交代があっても、瞬時にアナウンス原稿を出力してくれるエクセルのファイルも作りました。マクロを有効化して使ってください。
ご覧になった野球関係の方々からは、これを初音ミクに読ませるiPhoneアプリも作ってほしい、との要望が出ております(笑)

アナウンス原稿作成ファイル

13072802

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【2013/07/28 14:15】 | 体育研究室 | トラックバック(0) | page top↑|
なぜ球を網の中に入れたがるのか
むかし、関口宏のサンデーモーニングで、アルプスとかヒマラヤみたいな高い山からスキーでの滑降に挑戦した人の映像を流していた。
世界でも初挑戦となるそのチャレンジの映像は、命知らずのスピードで、見るものを圧倒する迫力だった。



そしたら関口宏が映像を見てこう言ったのである。
「この人は何故、このようなことをしようと思ったかわからないのですが、」
「この人は何のためにこんなことをしているのでしょうか」

衝撃的なまでの興味ゼロ発言である。

それを言ったら終わりじゃないか、と思ったが、確かにそうなのだ。
スポーツもその他の趣味も、突き詰めればすべてこの一言に落ち着いてしまう。

関口宏にはスポーツの中継に出演して、同じようにコメントしてほしい。

「なぜこの人たちは、球を木の棒に当てようとしているのか分からないのですが……」
「なぜこの人たちは、網の中にボールを入れようとしているのか分からないのですが……」
「なぜこの人たちは、水の中を何往復もしたがるのか分からないのですが……」

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【2013/05/28 03:11】 | 体育研究室 | トラックバック(0) | page top↑|
ラン・アンド・ピース
こないだデイリーの飲み会で「加藤さんはランニングしてますけど、かつてのスポーツへの嫌悪感とかはもう薄れてしまったんですか」と聞かれた。

うむ。たしかに。
もちろん、今でもスポーツに対して心が抵抗感を示す部分はだいぶある。
前にデイリーの記事を野球ネタで書いたのだが、書いている時期に野球仕事で精神が追い込まれていたため、書きながら「俺の大好きなデイリーポータルに、野球なんかの記事を載せてたまるか!」と心が爆発して全部削除しそうになったりなどと、謎の葛藤を自宅のデスクで演じていた。
まあ、いまでも総じて競技スポーツは好きではない。

しかし、昔の嫌悪感以上にランニングという活動には心を深く惹かれている。

ランニングのいいところは、全てが自己完結できるところだ。
自分で走る予定を立て、自分でメニューと目標を考え、一人で走り、走り終えたら一人で結果の反省をする。
そこには小中学校で苦しめられた「他人との優劣を競う」とか「失敗してチームメイトに迷惑をかける」とかは全く存在しない。取り組む相手は純粋に100%自分だ。
これが僕にはすごく合っていた。
このスポーツも悪くないかな、と思えたのだ。

僕は思うのだが、チームスポーツにおける「できない奴へのまなざし」は、非常にシビアなものがあると思う。
よく『失敗したときも仲間がフォローしてくれて……』みたいなのを見るが、普段それなりにできてる奴が失敗したときの話じゃねえか、と思ってしまう。
「そもそも全然できない奴」に対して、スポーツやる人は厳しすぎる。『あれだけできないと、さすがにイラついてくる』みたいに言い出す奴が出てきて、結局苦手すぎる奴は、はじかれていく。教育の仕事をしながら、何度も見てきた光景だ。

しかしランニングという活動には、そういった塩辛い空気を感じたことは一度もない。

僕らは競技ランナーではないし、速い人もいるし遅い人もいる。
各自が、各自の目標を持って走る。
速い人の練習方法を見習ったりする。
忙しい仕事の合間を見つけて走る。
年齢なりのメニューを組み立てて走る。

市民レースも、レースと言いながらスタートラインにいるのは敵ではない。戦友だ。
戦う相手は自分だ。
みんなが自分の目標に向かって、精神と身体の調節を20kmなり40kmなり続ける。
レース前にイメージした通りに、体を動かせるかだけを考える。
そして走り終えたあと、みんな好きなものを食べながら今日の自分を振り返り、反省を心の中に持ち帰っていく。
ラン・アンド・ピース。河原でやっている小さなロックフェスのように平和な活動だ。

しかし、こんなピースフルで地味な活動がたまにディスられているのを見る。
なぜっ!?と思う。

思うにあれだ、何でもイケてる風にしたい人たちの仕業だ。
ランニングブームのはしりの頃、夕方に銀座の街中を走るOLのランチームみたいなのがテレビで紹介されてて、あれはさすがにばかかと思った。
どう考えても夕方の銀座を集団で走る理由が見当たらない。信号多いし、みんなの邪魔だろう。

この感覚、好きだったマンガが原作のドラマを見たら、原作の良さが根こそぎ無くなってた感覚に近い。

まあというわけで、ついついディスりたくなるものもちょびちょびあるのですが、ランが総じて平和な個人商店的活動であり、決して運動を嫌いだった子供の頃の気持ちを裏切るものではないということを何となくつかんでもらえれば幸いです。

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【2012/12/25 23:35】 | 体育研究室 | トラックバック(0) | page top↑|
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