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極東最前線@クアトロ
音楽、演劇、文学、漫画、いったい表現者として活動している人間にとって、eastern youthから影響を受けないということが可能なのだろうか?
彼らのライブを見るたびに、僕は強くそう思う。

quattro130302


ライブ『極東最前線』に参加するのは何回目だろう。20代の中ごろから、何度も何度も参戦してきた極東だが、何年かブランクが空き、正直、昔ほど音に渇望する気持ちでは臨んではいなかった。「あー、久しぶりにイースタン見るなー」ぐらいの緩やかな気持ちでビールを飲みながら出演を待っていた。
しかし、一曲目からその気持ちは頬をはたかれたように吹き飛ばされた。
張り上げる声、ぶっ叩くギター、ドラムとベースのスクランブル、そして音にすべてを委ねてステージでゆらめく吉野寿。
ああ、表現者がここにいる。表現がある。
僕は「表現」というものの力を眼前にし、目に涙がにじんだ。

真に突き詰まった表現は、他者の表現の引き金を引く。
eastern youthのステージを見ているあいだ、僕の心には言葉が洪水のようにあふれ出てきた。30も過ぎてだいぶ経ち、物書きに対していくぶんか剣呑になったが、昨夜は心の土手に穴が開き、これをどう言葉で表せるのかと、無限にフレーズがあふれてきた。
そして、どの言葉でも表せないと悟って、僕は確信する。これが「表現」だからだ。他の何物でも代替不能な表現だから、なのだと。

ちょっと気取って書きすぎた。
平たく話そう。

「アーティストは新曲作ってなんぼ」と言う吉野寿は、中期の作品が絶頂、との評価を受けながらも最近精力的に新作を作っている。最新作の『叙景ゼロ番地』なんかは、なかなかにいい出来だった。
しかし昨日の極東で、その楽曲の発露を知った僕は、さらにひとつ新しい意味付けの中でアルバムを聞くことになる。ライブがアルバムに新たな解釈を吹き込み続ける。そう、吉野寿の表現はまだ健在だ。先に、上に、向かっている。昔の通りの場所には居続けようとしない、走り出す姿勢を保ったままだ。
ライブを通して伝えるものが、イースタンほどに代替不能なバンドはないのではないか。
ライブが本当、アルバムは分身。
それがはっきりしてるから、僕は何度でも極東に行ってしまうのだと思う。

曽我部恵一さんは、「eastern youthがいる限り、僕はいつまでもロックを聴き続けるだろう」と言った。
僕もそうだ。
僕はeastern youthがいる限り、その表現から目をそらすことができないだろう。吉野寿の飛び散る汗、割れ響く音、呻き出る声を受け止めるためにライブハウスに向かうだろうと思う。

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【2013/03/03 21:11】 | なし | トラックバック(0) | page top↑|
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