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昔働いていたバーのこと。その3
前編はこちら。
中編はこちら。

~6.衰退、そしてママ時代へ~
キンタさんが辞めた後の店は、坂を転げ落ちるように衰退していった。まず、主力バイトが一気に3~4人辞めて、シフトが回らなくなった。ちなみにバイト、僕が働いていた約10ヶ月で20人以上は入れ替わっただろうか。マスター+バイト1~2人くらいの小さな店だったので、まあよくコロコロとあれだけ辞めたもんだなあと思う。そしてその次々と辞めていく中、閉店まで続けた僕は我慢強かったなあと、自分を誉めたくなる。たとえばこんなことがあったけれど、僕はバイトを続けた。
10月くらいから金の回りが悪くなったのか、給料が遅配されるようになった。おかげで僕は病院に行くのにも友達に金を借りなければならないようなことになり、さすがにマスターにかなり語気を強めて給料をくれと言った。そしたらマスター、それは悪いと思ったのか、ちょっと待ってろと言って僕の給料を集めにどっかに出かけたのだけれど、帰ってきたマスターが持って来たのは100円玉、10円玉、5円玉入り混じった僕の給料だった。

僕は逆に店のことがさらに心配になったが、それと同時にマスターの長男(小学2年生)の貯金箱のことがもっと心配になった。
そして、今でも印象深いのが、客が一人も来なかった日のことである。
もう11月くらいになっていたと思う。キンタさんがいなくなって、明らかにメニューの味も質も劣化したうちの店にはとんと客足が向かなくなったが、それでも毎日1万円前後の売上はあった。(それでも足りているとは言えないけれど) でもこれ、ひょんな拍子に、客が一人も来ないことだってありうるよなあ、ぐらいに思っていたのだが、とうとうその日が来た。僕はその日、夜8時に店開けからバイトに入り、下準備をひと通り終えてお客さんを待っていたのだけれど、9時、10時、11時、12時と時は過ぎ、結局お客さんが入ることは無かった。さすがにマスターも寂しそうな面持ちで「加藤君、今日はもう閉めるか」と言ったので、12時半くらいに閉めたのだけれど、その時、キンタさんが残していったもう一つの言葉、
「客が一人も来ない日が一日でもあったら、その店はもう終わりだよ。相当な悪評が回ってる証拠だよ」
というのを思い出した。
そして「もう、うちの店も、だめかもしれんねえ」とぼんやり思い始めていた。
それから程なくして、店の経営がママへと交代する。


~7.さようなら、バッカス~
ここまで読んできて、少しでもマスターに同情してしまうような読者の人がいたりはしないだろうか。でもそれは無用な心配だ。店がこんな状態になっても、マスターの性格は相変わらずで、僕は日々マスターに切れていた。店を閉めた後、一緒に飯を食いながら「加藤君、何でバイトが辞めていってしまうんだろうねえ」などと相談されたことがあった。で、僕は当時はまだ若かったし、ものをストレートに言う方の性格でもあるので、「バイトが店で働いてるときでもマスター、飲みに行っちゃうじゃないですか。あれはバイトの信頼を損なうと思いますよ」という旨のことを言ったのだが、マスターは「信頼」という概念が理解できないらしく、いくら言っても聞いてもらえない上に、最後には「じゃあ俺が店にいたら、客が来るのかよ!」と逆ギレされた。あの時ほど、僕は同じ日本人に日本語が通じないと痛感した経験は無い。なのでマスターに同情する必要は全く無い。
マスターは既述の通り、元は不動産業をやっていた人らしいのだけれど、あれだけ適当な性格の人がいっぱしに商売を構えることができていただなんて、ニッポンのバブル期というのは恐ろしい時代だったんだな、と思う。本当に適当な性格の人だった。
こんなこともあった。店の中央には、ディスプレイ用のフルーツ盛りが飾ってあった。ある日、やたら虫が店の中にいるなと思ってそれを見たら、フルーツが腐ってハエがたかり、ウジ虫がわいていた。驚いたバイトが大慌ててそれを処分し、マスターが飲み屋から店に帰ってきたときに、そっと小声で、「マスター、フルーツ腐ってましたよ」と客に聞こえないようにと伝えたら、マスター、驚くぐらいの大声で「ああ、あれウジわいてただろ」と。こっちの客への気遣いを無に返す上に、「気付いてんならお前早く捨てろよ!」というイライラを呼び起こす、考えられる限り最悪の返事だったと、今でも認識している。それぐらいダメなマスターだった。

申し訳ない。マスターのことを話し出すとネタがいくらでもあるので、つい脇道にそれた気がする。
結局マスターはママに説得され、マスターの座を退き、建設・不動産業の、自らのフィールドへと帰って行った。その後、ママが店の現場に復帰し、指揮を執ることになった。

ママに関してあまり説明をしていなかったので、説明したい。
ママは黒木瞳にそっくりの美人さんで、銀座で働いていた頃はナンバー2、六本木でも店を持っていたこともあるという実力派ホステスだった。さすが、それだけの人生を送ってきた人なんだな、というオーラがびんびんに感じられる人で、人生やら恋愛やらに悩んでいた頃の僕は、色々とママに話を聞いてアドバイスをもらって、気持ちが助けられたところもずいぶんとある。実は在日2世だったらしいのだが、そんなことはまったく気にしていない風で、あたしは韓国語なんて全然読めないけど、帰化はしてないわ。それが何か?ってスタンスの、華麗な生き方がすごくカッコよかった。
何かの間違いでマスターと結婚してしまった、と言っていたが、ほんと何かの間違いとしか思えないぐらいの人だったと思う。

ママ時代は、基本的にトラブルは無かった。
正直、僕はバイトを辞めようと思っていたのだが、ママのことは尊敬していたので、経営がママに変わってからはしばらく続けることにした。
ただ、客層はずいぶんと変わった。マスター時代のせいで、店にフリーの客はほとんど来なくなっており、ママのクラブ時代の馴染みのオッサンが客としてちょこちょこ遊びに来る店へと変わった。バイトにも、ママがクラブ時代に雇っていたツテのある女の子がメインで入るようになり、店はほとんどクラブみたいなバーへと変化していった。僕の仕事も、カクテルを作ることから、タイミングよく氷やミネラルウォーターを出すことへと変わっていった。

そして、この長い話もここらで終わることになる。
結局それからしばらくして、店は1月半ばに店名ごと、ママの経営するクラブへと様変わりすることになり、僕のバーテン生活も終わることとなった。それまでやっていた家庭教師や塾講師では得られない体験をしたいと思って始めた飲食業のバイトだったけど、経営がきちんとしていない店でやったお陰で、デニーズとかでバイトするのでは得られない、学生にしては濃密な体験をしたなあと思っている。
【完】

THANKS TO hydrochaerusさん
応援のメッセージ頂いたおかげで、中編後編の筆が進みました! ありがとうございました。

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【2009/09/22 18:00】 | 食品研究室 | トラックバック(0) | page top↑|
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