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昭和二十六年、祖父の贈賄容疑を探る・前編
僕の祖父は名を加藤文吉といい、明治43年に生まれ、平成5年の僕が中学3年生のときに83歳でこの世を去った。もう16年前の話になる。
じいちゃんは質実剛健かつ豪放磊落な感じの人で、75歳まで会社で仕事をし、引退後は書道と囲碁を嗜んでいた。老人同士で集まるのをあまり好まず、最後まで威風のある生き方を通した人だったと思う。


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これは僕がまだ2~3歳の頃、祖父の胸にカンガルーのように抱かれている写真だ。
記憶の中に在る祖父は厳しく、静謐な雰囲気を持つ人だが、孫にはやっぱり優しかった。僕は小学生の頃、祖父の散歩に常にお供を申し付けられ、そのたびにハンバーガーやホットドッグにありついた。遠くまで散歩に出るときは、浅草で寿司を食わせてもらったり、新宿で天麩羅をご馳走になったりした。要は、なかなかにかわいがられていたのだ。

父や叔父も含めて、祖父のことを敬っていない人はなく、完全無欠とまではもちろん言えないが、芯の強い立派な生き方をした人だった、というのは家族の共通理解のように思える。

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さてそんな祖父だったのだが、先日の事になる。
ネットをだらだらと見ていて気だるくなってきた僕は、暇に飽かせて祖父の名前をネットで検索してみた。検索結果は41件。祖父の名前で表示される全然別人のことがほんのりと面白くてそれらを眺めていた。ネット時代の前に亡くなった人だったので、引っ掛ってきたのはほとんど全部、同姓同名の別人だったのだけれど、ひとつだけ、「あれ? これはじいちゃん本人ではないか?」 と思われる検索結果があった。

以下のページになる。

参議院会議録情報 第012回国会 通商産業委員会 第16号
sofu_020.jpg


国が作成している、参議院の議事録の集成のようなものと思われる文章だ。昭和26年のもので、文字だけが延々と続く、いかついページである。
しかしこれを読むと、この中にはっきりと「加藤文吉」と、祖父と同じ名前が数回出てきている。そしてその男の役職は「東京洋紙商協同組合参事兼事務長」らしい。
これがすごく僕の気をさわがせた。
祖父は、当時東京で、洋紙の流通に携わる仕事をしていた可能性があったのだ。祖父が75歳まで勤めた会社はどこだかの洋紙販売会社で、お陰で子供の頃は、家にいつでも子供の落書き用に高級ケント紙があふれていたから、はっきり覚えている。これは間違いない。祖父は戦後の混乱期には、転々と仕事をしたと聞いていたが、昭和26年にはすでに洋紙の仕事をしていたのだろうか。

気になった僕は、さらに記事を読み進めることにした。いったい祖父かもしれないこの「加藤文吉」氏は、なぜ参議院の議事録に名前が載っているのか。何をしたというのか。
60年前の文章で対話形式、ということで非常に読解しずらいところが多数あったのだが、それでも頑張って読解し、解釈してみると、以下のような構図が浮かび上がってきた。


sofu_030.jpg


簡単に言うと汚職に関わる話だ。逮捕されたのは4人。
当時の不況下で資金繰りにあえぐ中小企業が、経営資金の融資を商工組合中央金庫に申し込む。その便宜を図るように贈賄を働いた東京製材協同組合の高橋という人と、商工中金の品川という人が逮捕。その捜査を進めるうちに、他団体も贈賄していた可能性が持ち上がり、東京洋紙商協同組合の加藤文吉と、東京製材協同組合の松岡という人が逮捕され、取調べを受けたという話のようである。

贈賄。
祖父のイメージからはわりと遠い単語だ。責任感が強く、家族みんなから尊敬されていたじいちゃん。孫を愛し、兄貴には砂場を作ってくれ、僕には旨いものをいっぱい食べさせてくれたじいちゃん。いったい、この「加藤文吉」氏は本当に祖父なのだろうか。

この議事録の中でひとつ気になる点がある。この「加藤文吉」氏は、自由党の代議士の秘書をしていた、と書かれている点である。
じいちゃんは、一緒に散歩しているときに、自分の話をぽつりぽつりと話してくれることはあったが、そこから僕が知っている祖父の職歴は、高校で中国語の教師をしていたということと、東京裁判で中国語の通訳をしたということぐらいである。代議士秘書の話を聞いたことはない。
というわけで、状況的なものから「加藤文吉」が祖父である可能性を検討すると以下のように整理できる。

◎戦後の東京で洋紙の販売をしていた「加藤文吉」なんて、そう何人もいないだろう。多分じいちゃんじゃないのか。
●でも自由党の代議士秘書をしていたなんて話、本人からも親父からも聞いたことがない。
●そもそも、満州引き上げ後数年、洋紙の仕事を始めたばかりだろうというのに、組合の事務長をやっていたのだろうか?

最後の項目に関して説明をするために、ざっと祖父の経歴を説明したい。
祖父は山形県酒田市で生まれたのち、旧制酒田中学校を卒業、東京外国語専門学校、今の東京外国語大学へ進学し、中国語を専門に学ぶ。(なのでうちのじいちゃんは、英語もロシア語も中国語もできた!自慢!)卒業後、満州鉄道に就職し、満州国へと渡る。満州鉄道は国策会社だったので、半軍人のような形で戦争に携わったのではないか、と親父から聞いているが、じいちゃんは戦争のことについて全く話さない人だったので分からない。
敗戦後、裸一貫で引き上げてきた後、酒田と東京を行きつ戻りつしながら、東京で生活していける算段を立て、千代田区の九段に家を買う。これが僕の生まれ育った家となる。件の贈賄事件があったと考えられるのはこの頃だ。東京で生活できる算段が付いた頃なので、まだ安定した仕事をしていたかどうかは分からない。洋紙の仕事に就いていたかも分からない頃なのに、組合の事務長なんてやっていたのだろうか?

考えていても埒が明かない。
幸いなことに、先の議事録には「去る十五日の毎日、読売両新聞に贈賄、收賄の事実があり、不正融資の疑いもあるという報道があります。」と書いてある。つまり、昭和二十六年十一月十五日の新聞を見れば分かるのだ。
僕はじいちゃんの贈賄容疑の真偽を突き止めるために、図書館へと向かった。

後半へ続く

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【2009/10/15 11:00】 | 史学研究室 | トラックバック(0) | page top↑|
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