スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

メールフォーム
お名前:
メール:
 件名:
 本文:

【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 | page top↑|
昭和二十六年、祖父の贈賄容疑を探る・後編
~前編までのあらすじ~

ネットを検索していたら、大好きな祖父と同じ名前の男「加藤文吉」が、昭和二十六年に贈賄容疑で逮捕されていたことが判明した。状況と記憶から判断するに、じいちゃんであるとも、じいちゃんでないとも言える状況である。ことの真偽をはっきりさせるため、僕は一路、報道されたという昭和二十六年十一月十五日の新聞を捜しに図書館へと向かった。

------------------------------

祖父は明治43年、西暦に直すと1910年生まれだから、昭和26年である1951年には41歳になっているはずである。新聞には普通、容疑者の年齢は載っているので、その男が41歳であるならば、非常に高い確率で祖父であるということができる。

僕は図書館一階の、新聞バックナンバーコーナーに向かい、昭和二十六年十一月十五日の新聞を捜した。

sofu_050.jpg
こなへんかな……

sofu_060.jpg
ここだ! 間違いない。

sofu_070.jpg
で、発見しました! それっぽいもの!

sofu_080.jpg
日付も間違いなし!

sofu_090.jpg
そして十一月十五日の社会面を開くと……

sofu_102.jpg
あった! 「融資の伏魔殿、商工組合中央金庫」の記事!

下に拡大して見られる記事の画像も載せておいたが、併せてテキストでまとめておこうと思う。
sofu_103.jpg

------------------------------
警視庁捜査二課では中央区京橋一の一〇商工組合中央金庫(理事長豊田雅孝氏)の資金貸し出しをめぐり大がかりな贈収賄の事実があることを探知、東京地検の指揮で捜査を続け十四日までに同金庫営業部融資係品川勇(三七)=川崎市朝田町●●●●=を収賄容疑で、東京洋紙商協同組合参事兼事務長加藤文吉(四一)=千代田区九段●●●=を贈賄容疑、東京製材協同組合参事高橋武治(三五)を業務上横領容疑で検挙した。同金庫は中小企業の組合を対象とする運転資金の貸し出しをしているのに、各協同組合単位に貸し出す金額は大きく、それだけに金詰りにあえぐ全国中小商工業者は各地方選出代議士を通じて働きかけ、また役人側も同金庫の幹部以下金品の収賄や饗応を受けるのは半ば公然化し、捜査線上には早くも融資あっせんをめぐり自由党某代議士、元通産次官の名も浮かんできている。
調べによれば品川は融資指定の際に都内四百八十に及ぶ各協同組合の猛烈な融資申込みのなかで特に東京洋紙商協同組合に計一千万円にのぼる融資を受けさせる便宜を与え、その謝礼として加藤から昨年春から本年八月ごろまでの間に数回にわたり数十万円の金品の収受をしたほか、都内各所の一流料亭で豪華な饗応を受けていた。なお加藤は某代議士(自由党)の元秘書であった関係から品川に巧に取り入り、洋紙商協同組合に有利な借入れに成功していた。また高橋は同金庫への働きかけの手段として豊田理事長以下幹部を箱根に招待したが、その接待費五十万円は高橋の独断で勝手に東京製材協同組合の基金から引き出し幹部以下豪遊していた。この融資獲得用のため同金庫の係員接待費として計上していた額は各組合とも数百万円に上っているといわれる。

------------------------------

というわけで、41歳という年齢だけでなく、「千代田区九段●●●」という住所も完全に一致、どうやら「加藤文吉」は完全に僕の祖父であったことが明らかになった。また、代議士秘書であったという事実も、僕が知らないだけで存在したようである、ということも明らかになった。

新聞で判明した情報はここまでだ。
これ以上は当時を知るうちの家族に聞かないと分からない。
まずは当時小学生であったうちの親父に話を聞いてみた。

sofu_200.jpg
煮干の頭を取る作業を手伝いつつ、親父に話を聞く。

僕「親父さぁ、こないだネットで検索してたら……(中略)……だったんだけどさ、あれってうちのじいちゃんなの?」

すると親父は語りだした。

父「あー、あれな。そうだよ、もう秋の寒い頃に、警視庁に一週間ぐらい突然拘留されてな、新聞にも大きく載ったもんだから、知り合いの人なんかがずいぶんと心配して尋ねに来てくれたよ。当時まだ乳飲み子だったお前のおばさんを抱えてな、母さんが警視庁まで毎日差し入れを持って行ったんだ。そしたら母さん、親父に『これじゃ足らん、これは食わん』て言われて、ずいぶんつらい思いをしたって言ってたなぁ。で、その拘留中、警視庁に外語学校時代の後輩の人がいてな、『加藤さんはそんな事をする人じゃない!』って上に掛け合ってくれたらしくって、それが心に浸み入るほどうれしかった、って言ってたよ。」


sofu_210.jpg
摘み取られゆく煮干の頭。


僕「あー、やっぱりほんとだったんだ。で、そういえばさ、自由党の代議士秘書なんてやってたって新聞に書いてあったんだけど、そんなのやってたの?」

父「あー、やってたよ。志田義信、って衆議院議員の秘書をちょっとだけな。酒田の議員だったんだけど、あんまりそりが合わなかったみたいで、すぐに秘書は辞めて東京に出てきたみたいだな。で、その人も一期限りで議員を落選しちゃったな」


なるほど。
じいちゃんが短い期間ながら衆議院議員の秘書をやってたというのは、どうやら本当だったっぽい。
高校のときの政治経済のじいさんの先生が、元代議士秘書だったってんで、みんな少し尊敬の眼差しで見てたんだけど、まさか自分の祖父がやっていたなどとは思いもよらなかった。


sofu_220.jpg
頭の摘み取り、完了。

参考までに志田義信さんのデータをリンクしておく。
「ザ・選挙」~第24回衆議院議員選挙・山形2区

ネットの情報では昔過ぎて、その業績も来歴も分からないが、それは重要ではない。とりあえずこれで、議事録と新聞の情報と親父の話と、全ての符号が一致したわけだ。謎は完璧に解けた。じいちゃんは贈賄の容疑で逮捕されたことがあり、代議士秘書をやっていたこともある。

ここで追跡は終わるかに見えたが、まだもう少しだけ話は続く。
僕は偶然、昔の実家であり、じいちゃんが住んでた家である九段の家で、新たな資料を発見した。
それは次の経緯による。

------------------------------


sofu_300.jpg
資料を見つけた九段の家。僕が生まれ育った、今はもう古い家。


私事になるが、最近九段の家、つまり僕の昔の実家で、祖母と二人暮らしをしていた叔父が急逝してしまった。
叔父は結婚しなかったので、いない子供の代わりに、甥である僕が毎週九段に帰って、遺品を少しずつ整理している。叔父が亡くなる直前まで使っていた部屋は、生前の祖父の部屋でもあったので、叔父の遺品と祖父の遺品が同時に積み重なっている部屋になっている。その部屋で遺品を整理していたら、こんな物が見つかったのだ。

sofu_310.jpg
無題、と書かれた冊子。

表紙に「文生」と書いてあるので、祖父のものと分かる。中身は祖父の切り抜き帳だった。祖父は斉藤茂吉を好きだったので、切抜きの中身は主に斉藤茂吉に関する新聞記事だったが、それに混じってこんな物が記してあった。




sofu_321.jpg
祖父のメモ書きのような短歌。

ここでは読みにくいが、「監房雑詠」と題してある。
祖父が拘留中に、監房の中で詠んだもののようだった。

贈賄容疑の事件に関して、さすがにばあちゃんには聞きずらいな、と思ってこれまで聞かずにいた。旦那が警視庁に拘留された思い出の話である。差し入れに行くのにもつらい思いをしたと親父も言ってたし、触れないほうがいいと思っていた。
だが、一緒に遺品整理をしていたときに、このページを見つけてしまったので、触れないのも不自然だし、これも巡りかなと考え、思い切って聞いてみた。

「これ、あのときのやつだね……」とさりげなく話をふってみる。

ばあちゃん、傷付いたりしないだろうか。

と、いったような、僕の心配は全く無用だった。
読んでも「はて?」となっていたので、うちのばあちゃん、全くこの事件のことを忘れていたようだった。僕があらましを説明すると思い出して、ああ、そんなこともあったわねえ!と、あっけらかんとしていた。当年87歳、年齢というのはいろいろな作用を持つようだ。

その後、ゆっくりと祖父の詠んだ短歌を、ばあちゃんと読み解いてみた。

sofu_330.jpg

組合の 為なれかしと せしわざに 我とらはれの 身とはなりぬる

智性なき 看守の声に 追わるごと 房に入りゆく 我が身悲しも

梅ぼしと つめたき汁に 端座して 今日一日の いのち伸ぶるか

秋晴れの 日曜らしも 庭先に つどふ吾子の 姿偲ばゆ

隙間洩る 夜寒の風に 寝がへれば 房内総て いねらぬごとし

釈放の 言葉の響きの 嬉しさよ 秋晴れの空 まばゆく仰ぐ



祖父のストレートな悲しみ、つらさ、解放された喜びがそのままに伝わってくる短歌だった。

------------------------------
結論

その後の話は誰からも聞かないので、おそらく聴取だけ受けて、そのまま不起訴になったのではないかと思われる。要はお中元やお歳暮に贈った物品が豪華すぎたのが、一線を越えるか越えないか、という判断だったのではないか。そしてそれは「越えない」と判断されたのだろう。

じいちゃんが死んで16年、僕も他の家族同様にじいちゃんが大好きだが、父の末子だったので、じいちゃんのことを誰よりも知らないままに別れてしまった。もう少し大人になってからもじいちゃんに会い、話をしたかったなと思う。(そのせいか、いまでもじいちゃんの夢を見る)

けれどこの一件を通し、これまでに思いもよらなかったじいちゃんの一面を見ることになった。それはとても意味のあることだった。
もしも祖父が何かのはずみで起訴されていたら、僕は祖父に対して幻滅しただろうか?
答えはもちろんNOだ。
祖父が家族のために戦った戦後期の奔走に僕は感謝しなければいけないし、物事は決して有罪か無罪かの二元論では語れないものだ。

そんなことをあらためてじいちゃんが僕に教えてくれた、今回の追跡だった。

【昭和二十六年、祖父の贈賄容疑を探る・完】

メールフォーム
お名前:
メール:
 件名:
 本文:

【2009/10/15 11:00】 | 史学研究室 | トラックバック(0) | page top↑|
トラックバック
トラックバックURL
→http://masayukigt.blog123.fc2.com/tb.php/70-f16e1e73
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。